|
“手水”を取るために柄杓(ひしゃく)を取り左手をゆすぎ、持ち替えて右手をゆすぎ、また右手に持ち替えて今度は左手に水を溜め、口をすすぐ。 神社の鳥居をくぐって直ぐにある手水舎(てみずや)とは、決して水を飲むための場所でなく、不浄を水で洗い流してから神前におもむくための場所なのだ。 神社に行った時の神前での正しい参拝の仕方として、その後に、賽銭(さいせん)、鈴、二拝・二拍手・一拝、(拝はおじぎ、拍手は手を叩く事)へと続く。 日本各地、どの地方へ旅行に行こうが、どの行楽地をたずねようが、必ず有名な神社があり、家族そろって、または友人達と、あるいは会社の同僚達と参拝をした事も皆さん少なくはないはずだ。 この日本国全体が神道であり、国土の隅々までに土地土地の氏神様が奉られ、そして我々はそれぞれの氏神様の守る土地の"氏子"となっているからだ。もちろん、それは自分達から望んだ事でもないし、 国や地方自治体等の法律に制定されている訳でもない。(神社は、神社庁という所が管轄している。) しかし、日本の起源に関わる神道の歴史と天皇陛下の存在によって、今日我々の住む町々に神社が奉られ色々な祭事が催されている。ほとんどの人は、子供の頃から近所の神社の境内で遊んだ記憶や、 毎月決まった日に縁日が立つ神社では、家族に連れられて楽しい縁日に遊びに行った記憶があるのではないだろうか。 なかには子供の頃から今まで、一度も縁日に行ったり祭りに関わったりした経験が無いという方もいるかもしれないが、そんな人は日本国中探してもごくわずかな人数だろう。 何故かお寺の行事に関わる事は少ないが、神社の行事には『お祭り』として、幼少の頃から慣れ親しんできたという人は多い。 全国各地方の人が、共通の想い出として胸を躍らせながら、皆で話題にすることが出来るのが『お祭り』というわけだ。 さて日本人ならほとんどの人が胸躍らせ、全国で何世代もの昔から続く『お祭り』だが、地域・地方によってさまざまな祭りの特色と形態がある。 しかし、どんなに著名な文化研究者でも、その数や内容について全てを調べるには苦労するほどの種類があるにもかかわらず、我々関東に住む者達にとって祭りといえば『お神輿』が必ず頭に浮かんだり、 実際に子供の頃に『お神輿』を担いだりした経験のある人も多いのではないだろうか。 町内氏子の子供達が集まりそろいのハッピを着せてもらい、神輿係りの役員のおじさんに促され、声を合わせて『ワッショイ!ワッショイ!』と町内を練り歩く。 町会の端の境筋で、隣の町会の子供神輿と出会ったりすると、より一層大きく声を張り上げ神輿を揉む力も隣の町会の子供達に負けまいと一層強くなった。 担ぎ棒には肩が当って痛くならない様に家から持って来たタオルを巻き、休憩の時にはリヤカーに積まれたイチゴ水等の色のついた甘い水を柄杓ですくって回し飲みをした。 神輿渡御(とぎょ)が終って町会の神酒所(みきしょ)前につくと、子供達は大きなダンボールの前に一列に並び町会のおじさんから一人づつ手渡しで菓子とジュースの入った袋をもらう。 そして忘れてならないのが"風呂券"だ。どこの町内にも必ず銭湯があり、子供も大人も神輿を担いだ者達だけが、その日だけはタダで入浴できる券を貰えるのだ。 赤く腫れ上がった肩をいたわるように湯を浴び、吹き出た汗をさっぱりと流す爽快感。 神輿を担いだ後の覚めやらない興奮が、にぎやかに声高らかに銭湯に響き渡る。 ここで考えてみてほしい。子供の頃に町内の神輿を毎年のように担いだ子供もいれば、一度も神輿を担いだ事の無い子供も中には何人かはいるだろう。(もちろん、体が弱かったり、 父母の宗教上の問題があったりで、祭りに参加できなかった子供は別だ。) 今大人になってみて子供の時のその想い出の違いは結構大きくはないだろうか? 『もしも一度も神輿を担いだ事がなかったら・・・』、何だかその子は子供の頃の絵日記を一ページ、いや数ページ分は損をしている感じはしないだろうか。 昨今では団地やマンションといった共同住宅に住む家庭が多い。そんな中で子供達は祭りを、あるいは大人達にも言えることだが地域の行事としての祭りに関わり、充分に楽しんでいるだろうか。 いくら住宅事情が変わろうが『お祭り』は、地域、町会の年中行事の中で、一番の華やかさを誇るイベントだ。いつの時代も老若男女が一つになって楽しめ、大人や子供、 皆が心待ちにしてその日が来ると心がワクワクするイベントの代表格であってほしいものだ。 子の親となり、もしくは地域の住民として、町内会での役割分担や集合住宅の自治会での決め事に参加している自分がある今、町に対してコミュニティに対しての関わりが出来てきた今、 たとえ子供時代に唯一の地域社会に対しての関わりである『お祭り』に参加した経験が無かった人だったとしても、チョッピリのお祭りに関しての回顧録を思い出してみた時に、 将来の生活に必要なものなのかどうかよりも、日本人として『お祭り』の必要性を感じられたら良いのではないかと・・・・つい、考えてしまうのは私だけなのだろうか? |